説教者/馬場一朗牧師
説教題/絶望と孤独からの救い
聖書/マルコによる福音書1:40-45
さて、重い皮膚病を患っている人が、イエスのところに来てひざまずいて願い、「御心ならば、わたしを清くすることがおできになります」と言った。イエスが深く憐れんで、手を差し伸べてその人に触れ、「よろしい。清くなれ」と言われると、たちまち重い皮膚病は去り、その人は清くなった。 イエスはすぐにその人を立ち去らせようとし、厳しく注意して、言われた。「だれにも、何も話さないように気をつけなさい。ただ、行って祭司に体を見せ、モーセが定めたものを清めのために献げて、人々に証明しなさい。」 しかし、彼はそこを立ち去ると、大いにこの出来事を人々に告げ、言い広め始めた。それで、イエスはもはや公然と町に入ることができず、町の外の人のいない所におられた。それでも、人々は四方からイエスのところに集まって来た。
要旨/
1.イエスの立場から→皮膚病一般を含んでいたが、全ての困難な病は罪の罰と考えられていたため、ただ神だけが癒しうると信じられていた。イエスは癒しにより神性とメシア性を証された。(マタイ11:3-5)
人情溢れる人でもあった。当時全てのものから隔絶されていた重い皮膚病の人に対して、「深く憐れんで」、(怒って)、「手を差し伸べて」、「触れ」、癒してくださった。そして、祭司に見せることによって社会との交わりをか回復してくださった。そして、神性と人性の見事な調和こそイエスの魅力。
2.病人の立場から→彼の信仰→「願いに来て」、「ひざまづいて」、「御心ならば」、「清くすることがおできになります。」という態度に表れている。
彼は癒された後、イエス・キリストの証し人となった。